金刀比羅神社/こんぴら神社/徳島阿南

神道いろは

Q 神棚をお祀りするとき南向きか東向きにお祀りするのはなぜですか。
A 神棚を祀るときには、一般的に南向きか東向きにお祀りします。しかし、西や北向がいけない理由はありません。これは、我々日本人の方角に対する考え方を見てみる必要があります。
 まず、東と西は、日が昇り沈む方角であり、日々の繰り返しの中から、重要なる方角として尊んできました。つぎに、南と北の方角は、中国では「天子は南面する」という語に表れているように、北に在って南に向かうことが君主の地位を象徴するものとして尊ばれてきましたが、我が国でも、この思想的影響を受けながら、古くから祭などを中心としたさまざまな儀礼の場において、特に重要な方角として考えられてきました。
 現在、我々が家庭において神棚を設けるときには、こうした考え方に基づき、日が昇る東向きか、陽光が最も降り注ぐ南向きを原則に、家中で最も清浄な場所を選んでお祀りします。これは、神棚が家族や家庭の守りの中心として重要であるからです。
 神社も、これと同じように、一般的に南向きか東向きに建てられていることが多いようです。しかし、地勢的問題やその神社の特別な由緒から西向きや北向きに建てられていることもあるのです。
Q 清め祓いにが使われますが、なぜ塩を用いるのですか。その意味について教えて下さい。 A 御質問にある塩とは、葬儀の際、会葬者に配られる清め塩のことかと思いますが、この他、力士が土俵上で撒く塩や、料理店の店先などに盛られる盛り塩にも同様に、清めの意味があると言われております。
 清めに塩を用いることは、我が国の民俗的習俗であり、海水を意味する「潮」とも通じてさまざまな風習があります。古くは記紀神話に、黄泉国より戻った伊弊諾専(いざなぎのみこと)が自らの体に付いた黄泉国の犠を祓うため、海水にて硬祓(みそぎはらい)をおこなったことが記されています。
 このことが民間においては「潮(塩)垢離」(しおごり)といって海水を浴びて身を清めたり、海水を沸した「塩湯」が病気治療や無病息災のために用いられるといった風習に繋がっていきました。これも塩が持っている優れた浄化力や殺菌力を周知していたためです。
 現在、神社の祭りにおける祓いでも、塩水によりお清めをおこなう塩湯(えんとう)が用いられますし、葬儀の際など、一般において塩が用いられるのも、こうした信仰に基づき、非日常と日常とを別ける清めの行為を象徴的におこなうものと言えます。塩の持つ力に祓いの願いを託すことは、我々の祖先から受け継がれてきた英知によるのです。
Q よく山の神と言いますが、山の神とは正式には何といいますか。また、どのような信仰を持つ神様なのですか。 A 山の神について説明する際には、二つの点から見る必要があります。
 まず一つは古典にみられる山の神です。『古事記』には伊邪那岐・伊邪那美命による神生みにより大山津見神(おおやまつみのかみ)が、また後の段では、火の神である迦兵士神(かぐつちのかみ)の身体から奥山津見神(おくやまづみのかみ)のほか、七柱の神々が成ったことが記されているように、多くの山の神々の名が挙げられております。
 もう一つは民間信仰における山の神です。この信仰は人々の生活と密接に関わっているため、その地域によりさまざまです。山の神に対する一般的な信仰は、春になると山から里に下り、五穀豊穣を助ける田の神となり、秋に収穫が済むと再び山に戻る農耕神として考えられています。また山には先祖の御霊が鎮まるとも考えられ、祖霊に対する信仰とも関わっています。
 林業など山の仕事に携わる人々にとっての山の神とは、多くの場合は女性神と考えられ、山を護る神であり、お産の神としても信仰されています。年に何回かの山の神の祭日に山に入ると災難に遭うなど崇りが恐ろしい神とも言われております。また、漁業に携わる人々にとっても山は航海の上で大切な目印であり、古来より深く信仰されて参りました。
 中世末以降、俗称として自らの妻を山の神と呼ぶようになったのは、山の神の神楽に巫女が杓子(しゃもじ)を持って舞ったためとも言われています。歌舞伎などに登場する「山の神」 の恐ろしい姿は特に印象的です。
Q 服忌のことと、神事奉仕との関わりについて教えて下さい。 A 親族が亡くなったとき、身内の者は喪に服しますが、これについて定めたものが服忌(服喪)制度で、「忌」とは死の機れを忌むことを、「服」とは喪に従い、死者への哀悼の気持ちを表すことを言います。
 戦前までは、江戸時代に武家の問で定められた服忌令が公的な制度として用いられておりました。これによると父母の場合、忌の期間が五十日、服の期間が十三カ月と最良で、親族の範囲により期間が短縮されています。戦後、これは廃止され、官公庁においては職員の服務規程の中で、配偶者は十日間、父母は七日問など忌引き期間を定めていますが、基本的に各地域の慣例に従っているのが現状です。神社本庁では神職の服己で心得として、忌の期間を父母・夫・妻・子は十日問、七歳未満の子・祖父母、孫・兄弟姉妹については五日問としており、服の期間はその人の心得に任せ、一社の慣例がある場合にはこれに従うとしています。また忌の問は喪事のみに関わり、この期間が終了したときに祓いをおこなうとあります。
 氏子の方の服忌について、地域に慣例がある場合は言うまでもありませんが、一般的には五十日祭(あるいは四十九日)までが忌の期間で、一年祭(一周忌)までが服の期間と考えられているようです。
このため、忌の期間である五十日を過ぎれば神祭りを再開しても差し支えないという例が多く聞かれます。
 忌の期間中は、鳥居をくぐることを遠慮してもらうとも言います。しかし、巳むを得ない場合は、祓いを受けて戴けば良いと思われます。

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