金刀比羅神社/こんぴら神社/徳島阿南


女が神になる島
島内の全女性が巫女に・・琉球古代の祭祀「イザイホー」

 午後四時三十分出港の最終便に遅れること十五分。のんびりとした港に車のクラクションがけたたましく鳴り続けた。今まさに外洋に出んとする船に届いたのだろう、船は再び岸壁に帰る。本土では考えられない出来事である。

 「古代日本の姿」を見たくて三月下旬、久高島へ渡った。久高島は沖縄本島、知念半島の東方六キロの太平洋上に浮かぶ小島である。東南海岸にある馬天という小さな港から定期船でおよそ一時間、周囲八キロ、人口四百人たらずの島である。上陸すると、掲示板に「この島よりいっさいの物、持ち出しを禁ずる。持ち出したる者にはたたりがある」と書かれている。「たたり」なる言葉は、すでにテレビや映画だけの世界と思いながら、なるほど琉球最高の巫女(みこ)である聞得(キコエ)大君、創世神アマミキヨが最初に降臨した島で「神の島」「神話の島」としての島民の誇りが感じられる。

 沖縄の宗教は、御嶽(ウタキ)信仰と祖先信仰とに大別され、合わせて琉球神道と呼ばれるが、その宗教は巫女の宗教に一色される。沖縄、南西諸島、トカラの島々に、この巫女(ノロ・ユタ)たちは神の代理者として神同様に尊ばれていることは非常なものである。ウタキというのは奄美や宮古島の島々で、どこにでも見られる聖地のことであるが、久高島にもアグル御嶽、フボー御嶽などいくつかあり、沖縄の七御嶽の一つに数えられるフボー御嶽は本土の女人禁制とは対照的に男子禁制である。

 殊に久高島の北東のはずれ一帯はカペール(神屋原)と呼ばれ、最も神聖視されている。「古代の神道」の姿は沖縄の各島々に現存するが故に、ぜひ一度行って巫女の研究を勧める―と、尊師柳田国男の「海南小記」、折口信夫の「沖縄採訪手帖」の中の「久高語り」の中で紹介されている。民俗学ではなじみのふかい島の一つである。

 さて、この古代の祭祀(さいし)「イザイホー」であるが、ここでは十二月ごとの午(うま)年の旧十一月十五日を中心に、その前後四日間にわたって行われる。ノロを頂点とする祭祀集団に神女として就任する儀式。初日の夕刻から洗い髪、白衣の主婦が他界とみなされる「イザイヤマ」に三日三晩こもることによって祖霊の依り代の資格者となるまつりである。

 丑(うし)年三十歳から四十一歳の寅(とら)年に達したすべての女性が初めて巫女(ナンチュー)としての資格を得るために、このまつりに参加する。この加入式への出席義務は絶対的である。こうした巫女たる資格を得た女性は、それから十二年目ごとに訪れるイザイホーに参加し、次第に年令を重ねていくにつれて、その位が上がり、当初のナンチューから次位のヤジク(四十二歳〜五十三歳の神女)へ、そしてウンサク(五十四歳〜六十歳の神女)へとのぼり、ついにタムト(六十一歳〜七十歳の神女)と称されるまでに至る。つまり久高の巫女は特定の条件に適応するもののみが任命される仕組みではなく、島内すべての女性が巫女になり、神になるところに特色をもつ。

 イザイホーの主祭場は久高殿である。この祭場は現世と他界の二界が設定され、クバの葉で囲われたアシヤギを境に後方が他界空間、前方集落が現世である。アシヤギ前面出入り口には土中に埋めこまれた七つ橋をかける。他界空間のフサテイムイ(森)には七つ屋という草葺きの小屋がつくられるが、これはウプティシジ(守護神)たちが平素滞留していると考えられるウタキ(御嶽)を象徴したものであり、イザイホーの時にはウプティシジか゛それぞれのウタキからこの七つ屋に出向いているという設定である。

洗い髪で駆け込み・・・魂が再生される思い

 第一日夕刻、イザイニガヤー(イザイホー新入資格者)は洗い髪。ルジン・ハカンという白衣に素足の装いで現世から七つ橋を渡り、他界空間に駆けこむ。そこで、それぞれの親、神(ウプティシジ)に会い、テイルル(神の歌)をうたい、夜ごもりをする。第二日、ハシララリアシビ(洗い髪の意)までは、まだウプティシジと合体することはない。

 第三日にはウプティシジと合体を果たし、守護力をそなえた一人前の久高屋の女性ナンチューとして晴れやかに現世に登場する。この時の装いにそれは表現されている。髪を結い上げ、白ハチマキをし、ハチマキにイザイ花という花を差し、ルジン・ハカンの白衣の上にウプシジというものを羽織っている。

 この日、イザイホーの主催者である久高ノロ、外間(ホカマ)ノロから祭祀(し)成員としての認承を受ける。第四日目、ノロ以下ヤジクたちの東方(ニライカナイ)への拝礼があるが、神々の世界(海上はるかかなた)の親、神に対するナンチュー就任の報告と合わせて神々を送る儀式である。これで守護者の資格を得たナンチューが自家に帰り、守護力を背景に夫や息子ら家族の平穏を願うのである。注目すべきは、なぜ洗い髪なのだろうか。おそらくは水分を含むとは、霊波が通いやすいという発想なのだろう。しかも科学とかけはなれた、はるか古代より連綿として行われてきたところに誇り高き久高びとの英知と神秘性が感じられる。久高島は、すぐ古代が迎えにきて、しかも古代が身近な世界(島)でもある。それ故、巫女(みこ)は神に仕える意味においての神職の最も古い原初的形態を残しているのと同時に、いかにまつりよりも神を迎えるための忌ごもりが重要視されていたかがうかがわれる。

 元来、まつりは女性が祭祀権をもっていたものが、中世に仏教の導入により、女性にはケガレがあるとされ、次第にまつりの場から遠ざけられ、今日に至ったものであるが、世の人々が平安を願うと同様に自然に対する畏(い)敬の念、原点に返れと願うは無理かもしれないが、徐々に形を変え、姿を変えたとはいえ、女性の祭祀者が増えつつあるは喜ばしい限りではある。海上はるかかなた常世(とこよ)の国、妣(ハハ)の国、すなわち、この世のざわめきから遠く離れ、清らかなるニライカナイの世界からまれびと(神々、祖霊)を迎え、そして送る。

 (国文学の発生・第三稿・全集一―五)儀式とは、形があって、ともすれば内容のもつ意味の薄い中、南の島々の秘儀の村でひっそりと行われている一連の諸儀式に、時として己を見失おうとする時同じこの日本で、日本人の心を、日本の文化を、そして現代に残る古代の神まつりを垣間見ることによって、内なる魂が再生される思いであった。
(金刀比羅神社 宮司)