|
|
博学狸こんぴら三本足松雲斎の略記 |
|
|
月をうつした横顔は、わざとはなやかな武士姿をさけて、藍みじんの素あわせに落しざし。足ごしらえもキリリと軽く、洗いあげたようなやくざ姿が、ぴったりと坂についた日関野の金長。供をしているのは、これも、三ン下になりすました中田(ちゅうでん)の芳松。梅鉢源太を剣山へ出発させたあとで、田浦の太左衛門は金長に向い、先代の金長がその学識をうやまい、合戦の折は、太左衛門とともに作戦の相談役とした、福井の金びら狸、三本足の松雲斎に意見をきくよう進言した。うないずいた金長は、さっそくかごをとばさせ、那賀川を渡って南へ二里、下福井の神官狸、三本足を訪れての帰りみちであった。
ここでちょっと筆をまげて、金びら狸の三本足に、スポットをあててみよう。
阿南ずい一の景観、阿波の松島といわれる橘湾の入江に近い下福井の在。福井川の清流が、浣々(そうそう)と音をたてて、すいらんの影を洗い、したたる緯の松に吹く風は、琴(こと)を弾じて千年の昔を語る静寂境、松琴山には、海のしずめの金刀比羅宮が鎮座する。しんしんと生い茂る境内の森の奥に、二本のヒノキの大樹があり、一匹の大狸が住んでいた。非常ないたずら狸で、里に出ては人間をたぶらかし、悪事?を重ねていたが、金びら淵に出て通りかかる人間を待ちうけていた。
ところが、その夜は通りかかった相手が悪かった。村でも指折りの鉄砲の名人、茂庄兵衛(もしょべえ)とは気がつかず、いつものように小石のつぶてを投げつけると、かねて、こうした機会をねらっていた茂庄兵衛は、鉄砲を肩にかついだ後ろ向きのまま引き金をひいた。さすがの古狸も、名人の手練にかかっては、さけるひまもなく、後ろ足をうちぬかれて、命からがら、がけをよじのぼって逃げて帰ったが、とうとう後ろ足は一本短くなり、びっこをひいて、三本の足で歩くようになった。以来、里人は金びらの三本足と呼ぶようになったという。
その後も、社頭にあらわれては、参拝人をなやましていたが、ある夕刻、金刀比羅宮の神宮、森飛騨守(ひだのかみ)丹平が、夕神楽(ゆうかぐら)を奏上(そうじょう)しようと、神殿に登ると、白髪、白ぜん、狩衣(かりぎぬ)姿の森丹平が、神前に威儀を正して座っている。
おどろいたのは、あとから昇殿した森丹平。座をしめ「おのれは、何者じゃッ」
声をはげまして問いかけたが、間髪を入れず「わしは、森飛騨守丹平じゃ」とすましたもの。
ぴたりと、その前に「おのれ、化けも化けたり。飛騨守丹平に化けるとはおこがましい。早々に退散せいッ」
「はッはッは。何をぬけぬけと。おこがましいのはそちらじゃ。神罰をうけぬうちに、退散せいッ」
堂々とやりかえして、たじろがぬ面だましい。これから二人の飛騨守が、世にもめずらしい狸問答をしたと伝えられているが、果たしてその内容が、森神官のあとに伝えられているかどうか?
問えば答え、せまれば問いかけ、流水の弁をふるってシッポを出さぬ三本足を、じつと見すえた丹平は、やおら形を正した。
ぐっと、右手に第(しゃく)をにぎりしめ「はははは、いかに上手に化けても畜生の浅ましさ。神の意志にはかなわぬと見えるわ−。これッ。その笏のもち方は何じゃ。手がちがうぞ」
と大喝一声、きめこんだ。
とたんに、うまく虚をつかれたニセ神官は、向きあった神官の笏のありどころを見るなり、あわてて左手にもちかえ、とうとう馬脚ならぬ狸脚をあらわし、おそれいって化けの皮をぬいだ。
悪事をすることが、知恵にたけ、人間でいえば、頭脳明晰の三本足は、今までの非をさとされて、さっぱりと素行を改め、それから後は、左手に笏をもち、神官姿であらわれては、金びらさまの神使いとして人を助けることに専念しはじめた。それとともに、毎夜、森丹平の屋敷に通い、軒下にうずくまって、丹平が村人に講じる学の道をおさめ、ついに一代の博学狸になった。自ら、松雲斎と号して、丹平神官が留守のときは、夕神楽だけを奏上して、立派に神前の奉仕をおこたらず、行ないすましている。その三本足に、今後の見通しや、阿波狸界の安定などについて、意見を聞いての帰り道…
(三田華子著「阿波狸列伝M通天の巻」より抜粋)
学業成就・商売繁盛・心願成就・病気平癒・安産・良縁に霊験ありといわれる。
|
狸塚(三本足松雲斎のほこら)
|
|
|